奥武蔵まごころリレーインタビュー 第1回
この地域で事業を始めて何年になりますか?
私はもともと飯能で育った人間です。高校を卒業して一旦は街を離れて、 本田技研で働いていたのですが、27歳の時に父が亡くなったのを機に飯能に戻ってきました。
その時に高校の先輩に誘われて4人でギフト会社を始めたのです。 当時はギフトショップといっても「何をする会社?」と、まだ理解されずに結構苦労しました(笑)。 昨日のことのようですが、もう40年も経つのですね。中央ギフト商事は、そのギフト会社を分離独立するカタチで平成4年に設立しました。
40年前と飯能は変わりましたか?
そうですね。自然や住んでいる方々の人情などは変わっていないと思うのですが、街の活気が薄らいだのが心配ですね。 もっともっと街の人口を増やし、活気を取り戻す努力を市はもちろんのこと、市民も考えなければならないですよ。 少なくとも10万人は人口を増やさないと。そのために企業誘致なども、もっと積極的に行ってほしい。 それと街が自ら元気になるために"まつり"を盛り上げたい。
どうやって"まつり"で街を元気にするのですか?
毎年11月の第1土曜日・日曜日には『飯能まつり』が行われます。2日間で14万人が熱く燃える一大イベントです。 しかし、私としてはもっと盛り上がれると思っています。 不測の事態が起きないように様々な規制が厳しくなり、お客様が入らないからと飲食店も早々と閉めるところが多くなる。 果たしてこれで良いのでしょうかね。年に一度の神事である"まつり"の楽しみ方、また楽しませ方を、 行政も民間も一緒になって真剣に考えるべきではないでしょうか。 そして『飯能まつり』を市内外にもっと上手くアピールしなければいけないと思っています。
随分と『飯能まつり』に入れ込んでいますね。
私はこの街に感謝しているのです。 27歳の時に街に戻ってきたおかげで、会社勤務では得られなかった多くの方々との強い人間関係がつくれ、 歳を取っても変わらない幼なじみとの有意義な時間を手に入れることができました。 "まつり"への入れ込みは地元のへの恩返しであり、後輩たちへのエールなのですよ。 また、一人でも多くの仲間をつくるために"まっすぐ、明るく、元気"というのが私のモットーなのですが、 "まつり"の精神に通じていると思って頑張っています(笑)。
今後、飯能にどのようになってもらいたいですか?
先にも述べましたが、とにかく飯能の街に元気になって欲しいです。"まつり"はその良いきっかけになると思うのですがね。 『飯能まつり』には山車のほかに、底なし屋台という珍しいものも繰り出すのですよ。 『飯能まつり』を『秩父まつり』『川越まつり』と並ぶ埼玉の西部地区の"三大まつり"として全国にアピールしたい。 それが私の使命だと勝手に思っていますよ(笑)。 『飯能まつり』の2日間は、今以上に多くの方が集まって"まつり"を、そして飯能という街を心から楽しみ、 エネルギーを爆発させる。素晴らしいことじゃないですか。 そのために、まず在地神祇の代表であり神拝対象社の筆頭でもある一宮を飯能に建立するなど、やるべきことが沢山あります。 私は"まつり"が終わった翌日から、次の"まつり"に向けての準備を始めていますよ(笑)。
次回の予告だコロン |
---|
次回の奥武蔵まごころリレーインタビューは、中里氏からのご紹介で 株式会社吉田屋呉服店 代表取締役 飯能市教育委員長/大通り商店街副会長 吉田 行男氏を予定しております。 |
表示 スマートフォン|パソコン